『演義』で劉備は「中山靖王劉勝(前漢第6代皇帝の子)の末裔」という高貴な出自で、多くの人に尊敬された聖人君主とされている。だが、この劉勝が食わせ者。後漢時代の『漢書』によれば、劉勝は好色家で生涯に120人もの子どもを成したという。劉備が生まれた270年後には、数万人の血縁者がいた計算になる。末裔はゴロゴロいて経歴は誤魔化しやすく、尊敬の対象でもなかったのだ。

また正史『三国志』(以下『正史』)には、劉備の性格について意外な記述が。

「口数が少なく暗い。感情を顔に出さず何を考えているかわからない」

仲間も平気で裏切ったという。若い頃は勇猛な呂布につき、呂布がピンチになると敵対する曹操に、曹操に睨まれるとライバル袁紹に、袁紹が滅びると呉の孫権のもとへ……。聖人君主どころか、信用できない狡猾な人物と評されているのだ。

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