納豆のルーツは関西という説もある。京都市北部の京北地域では、冬になるとゆでた大豆をわらで包んで発酵させる「わらつと納豆」を作る習慣がある。
「源義家が馬のエサの煮豆を俵に詰めて移動中、偶然納豆になったのを発見したといわれている」。水戸や会津、仙台、横手など義家が奥州攻めの際に通ったルートで納豆食が盛んなのは「京北から納豆文化が広められた証拠」
発祥が関西なら、なぜ現在は嫌われているのか。
「関東では冬の保存食として納豆が日常食になったが、比較的温暖な関西ではさほど重視されず根付かなかったのでは」