賢臣に親しく接し小人を遠ざけたことが前漢の興隆した原因でありますし、小人に親しく接し賢臣を遠ざけたことこそ、後漢が国を傾け衰退した原因であります。
私はもと無位無冠の平民で、南陽において田を耕し、この乱世にあっては命をまっとうできればいいと、諸侯に仕えての名誉栄達を求めてきませんでした。先帝は私が卑しい身分であるにもかかわらず、わざわざ高貴な身をお曲げになり、そまつな私の家を三度も訪れになり、当時の政治・社会的な情勢とそれへの対策についてお尋ねになりました。
これがために感激し、先帝のために身を捧げ奔走することになったのです。