マーティン・ルーサー・キング・ジュニアを見てみよう。彼の最も有名なスピーチは、何年もの練習の賜物である。やがて彼の技術に気づきと柔軟性が備わり、達人のレベルになった。即興性にも富んでいた。キングは、演説の記憶に残る部分を即興で話したのである。リンカーン記念堂の階段で行った「ドリーム・スピーチ」として現在知られる、あの演説のことだ。
彼が「私には夢がある」と語り始めると、その場にいた記者たちは困惑した。事前に手渡されていた公式原稿に、そんな言い回しは含まれていなかったからである。キングは聴衆の雰囲気を読み取り、以前の演説で使った言葉とアイデアを即興で付け加えたのだった。
キングは生涯で2500回もの演説をしたと言われている。もし1回の演説につき原稿作成と練習に2時間を割いていたと仮定するなら(多くの場合、彼はそれ以上の時間をかけていた)、少なく見積もっても5000時間の練習をしていたことになる。これは演説に費やした時間だけであって、高校での討論や数百回もの説法は勘定に入れていない。1963年8月までに、キングの練習時間は優に1万時間に達していた。