「郭奉孝は齢四十にも満たず、ともに駆けずりまわって十一年になるが、険阻であれ艱難であれ、みな一緒に被ったものであった。また彼の通達ぶりと、世の仕事における滞りのなさを見て、後事を託すつもりであった。思いがけず突然彼を失ってしまい、悲痛さに心が傷む。いま上表して彼の子をちょうど一千戸まで加増してやったところだが、それが死者に対してどんな利益になるだろうか。彼を思い起こしては感傷が深まるのだ。しかも奉孝といえば孤を理解してくれた者なのだ。天下の人々をこぞっても理解してくれる者は少ない。そのことでもまた痛惜される。なんたることぞ、なんたることぞ!」また荀彧に手紙を送って言った。「奉孝を追惜する思いを心から消すことができぬ。かの人の時事や兵事に対する見解は、人倫を超越していた。それに人間というのは大概病気を恐れるものだが、南方で疫病が起こっていても、いつも『吾が南方に行けば、生還することはできまい』と言うだけで、しかしながら一緒に計略を議論しているときには、まず荊州を平定すべきと申しておったのだ。これはただ計略が真心から出ていたというだけでなく、必ずや功績を立て、命を棄ててでも成功させたいと願っておったということなのだ。他人に尽くす心はこれほどであった。どうして人が彼のことを忘れられよう!」