ところてんが中国から日本に伝わり、広まり始めた奈良時代から平安時代初期、当初は、からし酢をかけた食べ方で、うま味を増すためにしょうゆを足す味付けが全国に広がりました。一方で、奈良・京都など当時の都周辺では、中国から輸入された砂糖が貴族の間で流行していました。このとき、風味の強いところてんに合うように『砂糖を使って作る』『黒蜜で甘みを足す』食べ方が生まれました。
黒蜜文化は江戸時代以降も関西にとどまります。砂糖は高価で貴重な物だったため、薬としても使われていました。庶民に広まったのは江戸時代の元禄期に入ってからです。それまで、薬の原料を扱う商人『薬種商』は大阪・道州町(現・大阪市中央区道修町)に集中しており、砂糖の卸売り機能が集まった関西だからこそ、庶民にも甘味の文化が根付いたといえます。ところてんの普及によって甘味文化が発達した関西だから、黒蜜という食べ方が生まれたのです。
一方、江戸は地方から上京した単身の男性が多く、そばを好むなど“粋”な食文化が発展し、甘い味付けよりもさっぱりといただく酢じょうゆのところてん文化が残ったといえます