直線と面で作る民族衣装の発想を洋服に取り込み、独創性でパリモードの常識を破った。直線裁ちの大きな服で新鮮な印象を与えた。夏物にだけ使われていた木綿を、秋冬物にも使った。タブー視されていた原色づかいや、花柄と縞(しま)の組み合わせで注目された。
ショーのあり方も、自分の店の中で衣服ごとの番号札を持ったモデルが1人ずつ歩く形態から、大会場で音楽を流し、何人もが同時に踊り、練り歩く姿へ変えた。ハンドバッグでもショルダーバッグでもない「ポシェット」を作り出し、重ね着ルックを提案した。
93年に「ケンゾー」の社長を退き、株式もルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーグループに売却。その後は契約デザイナーを務めたが、99年に60歳で退社した。