例えばFacebookで2種類のニュースフィードがあるとしましょう。ひとつは指をフリックするたびに、あなたが正しいと感じるようなニュースを次々と表示します。あなたへの反対意見は間違っていて、あなたが間違いなく正しい、というものです。もうひとつのニュースフィードは「チャレンジ・ニュースフィード」と呼びましょう。これはあなたが指を動かすたびに、現実についてのより大きな見方を提示します。そのことで、何が本当なのか、あなたに懸命に考えるよう促すのです。 このふたつのフィードのうち、どちらがあなたのアテンションを引くでしょうか? あなたが正しいと言ってくれるフィードです。
わたしたちはいま、自分が現実だとする見方を追認してくれるものだけを手に入れる、フィルターバブルの中で活動しています。それはまるで、現実が織り込まれた布をシュレッダーにかけて、30億のエコーチェンバー(残響室)へと切り刻むようなものです。そこでは常に、自分たちは正しく、相手は間違っているという見解が得られます。これは民主主義にとって、実存的な脅威です。民主主義の社会はコモングラウンド(共通の基盤)をもつことに依拠しているからです。