紀元前210年、秦の始皇帝(第9回参照)が巡幸先で没した。このとき供をしていた趙高は、皇帝の遺言を偽造し、みずからの仕える胡亥(こがい)を二世皇帝に就ける。この功で趙高の権勢は絶頂を極めることとなり、ついには丞相(じょうしょう=宰相)にまでのぼりつめた。鹿を見せても彼が馬だと言えば、みなそのように追従し、したがわない者はあとで罰せられたという(「馬鹿」という表記の由来とされる)。むろん国政は乱れ、各地で反乱が頻発した。ついには不和となった二世皇帝を死に追いやったが、彼自身も三世皇帝に誅されてしまう。が、時すでに遅く、秦帝国の滅亡はその翌年に迫っていた。