柳成龍は『懲ヒ録』の最初の部分で壬辰戦争の前史を通じて戦争責任の相当な部分が朝鮮にあると主張した。柳成龍は『懲ヒ録』を始めながら成宗に残した申叔舟の遺言に言及した。「我が国は日本との和平を失うべきでない」という部分がそうだ。普段から隣国と和平を維持することが、過去の過ちを懲戒して後難に注意するという懲ヒの核心だと見たのだ。柳成龍はこの遺言を紹介した後、日本使節の朝鮮側使節派遣要請とそれに対する朝鮮側の無対応、豊臣秀吉が送った使節・宗義智の外交努力、秀吉の憤怒と屈辱を書いている。柳成龍は秀吉の憤怒と屈辱が壬辰戦争の主な原因の一つになったとみて申叔舟の遺言に言及したに違いない。

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