2009年から毎年、ビル・ゲイツはゲイツ財団の年次報告とともに発表する論文(レター)を執筆していた。ビルにとって、大切な仕事だ。2013年、女性の家族計画を取り上げることになった時、メリンダは思い切って「それは私が主導してきた取り組みだから、私が書いたほうがいいのでは」と提案した。しかし、ビルは反対。それがきっかけで2人は「殺し合うんじゃないかというほどの大喧嘩」になり、メリンダは「もうこれで私たちは終わりかも」と覚悟したほどだったという。
それでもメリンダは粘った。2013年はビルの本文とは別に、メリンダがコラムを掲載することで決着した。翌年は、取り上げるテーマ3つのうち、2つをビルが、1つをメリンダが執筆した。そして3回目の2015年、初めて2人の連名で発表されたのだ。