松下幸之助起業の地(旧町名東成郡鶴橋町大字猪飼野)松下電器産業を興し「経営の神様」、松下幸之助氏は、9歳で母のもとを離れて大阪に出、丁稚奉公を経て15歳で大阪電灯㈱の配線工となったが、大正6年22歳の時、自ら考案した「松下式ソケット」を事業化するため退職、この場所で独立の一歩を踏み出す。四畳半と二畳の小さな工場(借家)で、幸之助と妻のむめの、義弟の井植歳男(後の三洋電機創業者)が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越えて、やがて世界的大企業とする基盤はここで培われた。

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