以前に森博嗣の小説で見かけたこと。

 欧米の集団の繋がりはjoinだが、日本の集団は「俺も混ぜてくれ」という言葉通り、mixなのだと言うこと。

 これはとても印象に残っている。(出典となる小説は失念)

 確かに欧米はjoinによって繋がっていくリンクリストみたいな感じがして、そのjoinの連鎖が数多く発生していて、最終的には複雑に絡み合ったチェーンみたいな気がしている。

 これは、直接その集団に触れた訳ではないので思いこみも入っているだろうけれど、Webサイトにおける繋がりも欧米のコミュニティも、それらの人々が書く書籍にもそうした色が濃く現れているように感じる。チェーンの中をけたたましくエネルギが行き交う感じがして仕方がない。

 そして、やっぱり日本はmixであって集団に溶けこむ事で個を失っていくというか、mixiのように繋がっていても集団の中で個は打ち消されていくような感じをうける。

 自分が自分であることは許されないというか、人格も性癖も特徴も個性も抑圧されて、ただひたすらに集団の構成要素であることを求められているような気がする。(例えばmixiにおける暗黙的な儀礼などがそれ)

 要するに日本において集団に溶けこめない人たちというのは、このmixにおける打ち消しに常に反発を覚えるのではないのかなぁ、と感じたということ。

 組織なんてものはその最たるもので、出来るだけ個を特出させないような仕組みなってしまっている。卓越した技能があっても、組織に適さないということで放逐される人もいるし、放逐されないまでも槍玉に挙げられるのがしばしばだ。

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