私が国語の時間が嫌いになった理由は、小学校のとき「この作品を読んであなたはどういう情景を思い浮かべますか?」という先生の質問に対し、私が、「私は***という情景を思い浮かべます。」と回答したら、「うん、でも、正解はXXXXXという情景なんだよ。」と先生に言われたからである。私の考えを聞かれたから回答したのに、それを他人である先生が、しかも根拠なく不正解であると宣言した経験が「国語というのはどうしようもない科目だ」と私に思わせた。
一方で、三森さんが紹介している「テクストの分析と解釈・批判」のやり方はフェアだ。どうして、その情景が思い浮かんだのかについての根拠をテキスト上で示さなければならないので、その根拠からその情景を思い浮かべる妥当性について議論することができる。つまり、先生が私の回答を間違っているというためには、私が示した根拠が不適切であることを私に示し、私を納得させないといけないのである。これは、私が昔受けたとんでもない国語の授業とは大違いだ。また、「テクストの分析と解釈・批判」の授業を通して、同じ作品を別の側面に注意して読んでいる人が存在するということを理解させる、すなわち、人はそれぞれ違った考え方をしているということを理解させることができる。これは国際人になる第一歩だ。