蕎麦は端だけ付けて喰うには訳がある。
元々はつゆに付けたときに丁度良い濃さだったのが、
どっぷり付けて啜っていくうちに、蕎麦についた水分でつゆが薄まり、
最後にはなんとも寂しい食感になった。
気の短いので有名な江戸っ子はこれが気に入らず、
半分も蕎麦をすすると「親父! 替えのつゆだ!」。
そこで一計を案じたある蕎麦屋が濃い目のつゆを作り、
「最初は半分程度つけておくんなまし。蕎麦の香りと出汁の効いたつゆが、なんとも言えないでしょ?」
と出した。
見栄っ張りの江戸っ子は、「お、こりゃあ、うめーや。通はこうでなくちゃ」と気に入った。
元々濃い目のつゆに半分しか入れずに蕎麦をすするため、
確かに最後まで濃いままで蕎麦をすすり終わった。
(こりゃあ、良い方法を見つけたもんだ)
蕎麦屋の亭主がほくそえんだ時、「うぇ! 親父! このつゆはしょっぱすぎるぜ!」と江戸っ子。
はて? と見てみると江戸っ子が蕎麦猪口の残ったつゆを飲もうとしている姿があった。
慌てず主人が「これは蕎麦で冷えた体にいいんですよ」と勧めたのが蕎麦湯。
これが大受けして江戸っ子は、ざる蕎麦は端をつけ、最後に蕎麦湯で割ったつゆを煽るのが広まった。