麻原彰晃の四女・松本聡香著「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」より拘置所で、私が父(麻原)と面会した時、父は右手で自分の口を覆い隠し、私だけに聞こえるような小さな声で私の名前を呼んだ。その後、またいつものような奇怪な行動に戻った。この面会の時、私は「父はやっぱり詐病だ」とはっきり悟った。
母(松本知子)と上祐は、十数年来の宿敵だった。
母は服役後、表向きは教団を脱退していたが、実際には教団運営に深く関わっていた。
私は2006年2月に家出して以来、二度と自宅には戻らず、現在に至っている。
上祐曰く「現人神を信仰する宗教には、必ず争いが起こる。だから偶像崇拝にすればいい。」
上祐が「(サリン事件の被害者への)賠償金を払う金がもったいない」というのを聞いて、彼を信用するのは危険だと思った。
いまだに教団の信仰を続ける人を追及すると、最後は必ずこう言う。「だって、そうしないと生きているのか分からないんだもの」
教団を脱会した人の多くは、IT業界、占い、スピリチュアル業界、福祉関係の仕事に就きながら布教活動をしている。
実は父は、逮捕前に幹部達を個別に呼び出して、それぞれに教団存続のための任務を出していた。オウムに破防法適用が取り沙汰された時も、獄中から極秘指令を出していた。6人一組になって社会で普通に生活していくグループと、徹底的に戦い抜くグループとに分け、後者が敗れることまで見越して、彼らを吸収できるように前者に指示を出していた。
信者たちは、父を精神病患者に仕立て医療刑務所から脱出させる、あるいは、アメリカの要人に取り入って国家間交渉で死刑が執行されたことにして密かに拘置所から脱出させる、などの妄想めいたことを考えている。実際、信者はヘリまで購入して、東京拘置所の上空を飛んだこともある。
洗脳には色々な方法があったが、一つはフリーメーソンの陰謀論を利用することだった。そして、それと戦うのがオウムという論法だった。
父と母は子供達に暴力を振るうだけでなく、夫婦喧嘩も絶えなかった。そのほとんどは、父が母を言葉で挑発し、言い負かされると母が父に掴みかけるという具合だった。父母の逮捕まで凄まじい怒鳴りあいが繰り返され、そのたびに「離婚だ」という言葉が繰り返された。
PSIと呼ばれるヘッドギアが開発され、数ボルトの電流を流すことで、父の脳波と同調できるとされた。教団はこれを100万円で信者に売りつけた。
父が愛人に生ませた子供の数は9人もいるらしい。愛人の数は、のべ100人もいたと思われる。その中に政界の要人の娘もいた。
母はマスコミにもよく登場する信者のAさんと不倫している。
自分の就学をめぐって学校側と話し合いをしていた時に、校長先生が私に向かって「あなたの命は一つですよね。あなたのお父さんはたくさんの人を殺しましたね。あなたが死んでも仕方ないでしょう」と言った。