■「当たり前」を下げれば自由になる
新聞を読んでいると気持ちが暗くなる。日本はこれから経済的に悪くなるばかりだ。それにも関わらず、高度経済成長の価値観を引きずり、多くを望むが故に不幸になってる人が多いように感じる。
当たり前のように百万以上する車を乗り回し、結婚式には三百万もかけ、子供には習い事や私立の学校に通わせ、休日には外食に行き、毎月数万も服を買い、エアコンは付けっぱなしにし、ミネラルウォーターを飲み、携帯代に1万も払い、30インチ以上あるテレビを買って、おまけに毎月10万ぐらい自宅購入にローンを組む。これが当たり前らしい。
それを維持するために、毎日夜の22時まで働く。どんなにツラくても妻子やローンがあるから辞めることができない。バブルのころよりも人員が減り、仕事のキツさは倍増したのにもかかわらず、給料は据え置き、どころか下がることすらある。これじゃ奴隷だ。こんなに頑張らなきゃ「当たり前」は手に入らない。もう、以前のように働いただけ発展が望める社会じゃないんだよ。
もし「当たり前」の基準を下げて、もっと慎ましやかに生活すれば、こんなに働かなくてもいいんじゃないか? もっと自由になれるんじゃないか? そう思い私は某大手製造業の技術者の職を捨てた。今は週に2~3日だけ働いて10万で暮らしている。
車を手放し、2万/月の家に住み、しまむらで買った服を着て、自炊して食費も1.5万/月にしている。でも、貯金もできている。空いた時間を本を読んだり、将来のために勉強に当てたりしている。自主的にやっているから楽しい。
「そんな生活で惨めになりませんか?」と言われるが、会社に勤めて多くのお金をもらうのは、結局、見栄のためなの?と逆に問いたくなる。
「結婚しなくていいんですか?」と言われるが、逆に何で結婚しなくちゃいけないの?と問いたい。
「お金がないと友達は減りませんか?」と言われるが、私が貧乏になっても、(苦笑いをすることはあるが)親しい連中は私のもとを離れては行っていない。多分、もともと贅沢を共にするような付き合いをしていなかったからだろうと思う。
私はこれでいい、と今は思える。
「当たり前」を下げれば自由になる (via rtak)
こういう生き方はアリだと思う。多くの人がサービス業に従事している日本社会において、多くの人がこういう生き方をしてしまったら更に日本経済は悪化してしまい、この人は更に「当たり前」のハードルを下げなければ行けなくなるだろう。ただし、それは社会全体や国家のことを考えた話であって、一人の人間として状況に応じて自分の持っている価値観を変更するという柔軟な発想と行動力は僕も見習って取り入れていきたい。ちなみにこの考えはメタプログラミングやマクロに通じる自分自身の再定義という考え方なので、この人はLipserかRubyistだと(ry
(via iori0121)