人には誰でも、他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるというその理由は、もし幼な子が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たなら、はっと驚いて痛ましいと思い、助けようとするだろう。
(それは、)幼な子の両親と交際を結ぼうとして、そうするのではない。
村人や友人にほめてもらおうとして、そうするのでもない。
見殺しにしたら非難されることを嫌ったから(そうするの)でもない。
こうしたことから見れば、あわれみの心がないものは人ではない。
自分の不善を恥じ、他人の不善を憎む心のないものは人ではない。
譲り合う心のないものは、人ではない。
善し悪しを見分ける心がないものは、人ではない。