昭和42年、天皇陛下が新幹線に乗車したとき、その「お召し列車」の運転手が証言しているそうです。

 「停車駅の名古屋・京都・新大阪はプラスマイナス5秒以内、停車位置はプラスマイナス1センチ以内の許容しかなかった」(文庫版p.146)

 5秒。1センチ。誤植ではありません。新幹線を、東京から新大阪まで、これだけの精度を保って走らせろ、というのです。馬鹿馬鹿しいとしか思えませんが、運転手の証言は続きます。

 「通常でも特別な事情がない限り、誰でもほぼこの範囲内で運転している」(文庫版p.147)

 通常でも、誰でも。もはや気味が悪くなってきますが、これが昭和40年代に行われていた列車運行なのです。明らかにコンピュータシステムのちからではありません。というかこれはむしろオーパーツ。では、それ以前はどうかというと。

 「明治37年、甲武鉄道(現、中央線)が普通鉄道で最初の電車を東京の飯田町~中野間に走らせた時、列車は早くも10分間隔で走っている」(文庫版p.69)

 「中央線東京~中野間は、大正13年2月から、混雑時には早くも3分間隔、東海道線東京~品川間(山手線を含む)では、大正15年1月から混雑時2分半間隔が現れている」(文庫版p.125)

 ちょっとは落ち着け日本人、と言いたくなりますが、もちろん落ち着くはずがありません。何しろ敗戦当日も定刻運行を止めなかった日本の鉄道。そして今や。

 「東京の都心部に毎朝、372万人の通勤通学者がドッと押し寄せ、ドッと帰ってゆく様だ。23区以外の東京都内から66万人、埼玉県から106万人、神奈川県から98万人、千葉県から88万人が押し寄せる」(文庫版p.123)

 「この時間帯、山手線列車は2分半間隔、中央線は2分間隔で走っている。(中略)2分の遅れは一列車分、およそ4,000人分の輸送力の損失を意味する」(文庫版p.116)

 「途切れることも、途絶えることもない人の流れを支えるためには、都会の鉄道は、当然のごとく「秒単位」に管理されなければならない。(中略)東京圏の電車の発着時刻は10秒単位、駅での停車時間は5秒単位で計画され、運転士たちは駅の通過時刻を1秒単位で認識している」(文庫版p.122)

 こんな国ですから、「労使対立が激化して順法闘争が行われた時期の一列車あたりの平均遅延は5分前後」(文庫版p.105)だそうで、鉄道員のサボタージュ闘争による「平均5分」の遅延に日本社会は耐えられなかったのです。

 ちなみに、イギリスでは10分、フランスでは13分、イタリアでは15分までの遅延は統計上「定刻運行」と見なされるそうです。それでも定刻運行率は90パーセント。でも、むしろそちらの方が真っ当な気がしてきます。

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