当時イギリスやオランダは、スバールバル諸島はグリーンランドの一部だと思っていたので、捕鯨にあたってノルウェーの国王に許可を得ていた(※)。しかし、スバールバル諸島がグリーンランドとは別だとわかって、1615年にイギリスが領有を宣言。ところが島はオランダ人の方が先に見つけていたし、ノルウェー国王も「スバールバル諸島はノルウェー領だと認めない国には、捕鯨の許可を与えない」と言い出したため、イギリスの領有宣言は国際的に認められず、島は「なんとなくノルウェー領」ということになった。しかしノルウェーは島を本格的に統治しようとしたりせず、島に移住したいという住民に許可も出さなかった。これはスバールバル諸島を実効支配するとなると出費がかさむし、改めて領有宣言をすれば他の国も領有権を主張しだして揉めそうだからと懸念したから。かくして島では各国の船がクジラを捕ったり、ロシア人がキツネ狩りをしていたが、ノルウェーは放任状態で好き勝手にやらせていた。
※グリーンランドはデンマーク領だが、1380~1814年は「デンマーク・ノルウェー連合王国」で国王は兼任だった。
1864年に島で鉱物資源が発見されると、スバールバル諸島の領有権問題にハリキリ出したのがスウェーデン。スウェーデンは各国に「スバールバル諸島はノルウェー領とすること」を打診してまわり(※)、イギリスやオランダ、フランス、ドイツ、デンマークは漁業や狩猟を認めることなどを条件に同意したが、ロシアも領有権を主張し始めて反対。そして肝心なノルウェーは相変わらず乗り気なしの状態。かくしてスバールバル諸島は「無主の地」つまりどこの国の領土でもないということになった。
※なぜスウェーデンが「島はノルウェー領」と主張したかといえば、1814~1905年までスウェーデンとノルウェーは国王が兼任で連合王国だったから。スウェーデン領だと主張するには地理的にも歴史的にも無理があったので、ノルウェー領ということにして、スウェーデンが自国同様に支配しようとしたということ。
こうして20世紀に入ると、イギリスやアメリカ資本の炭鉱が操業を開始し、ドイツやノルウェーの船会社が観光ツアーを始めたりと、島の開発が本格化した。それに伴って、炭鉱の英米人経営者とノルウェー人労働者との間の労働争議や、ドイツ人観光客のトナカイ狩りに縄張りを荒らされたロシア人猟師の反発、炭鉱と猟師の対立など、さまざまなトラブルが起きるようになったが、無主の地のままでは法律も存在しないまま。これでは困るということで、1906年にイギリス資本の炭鉱でストライキが起きたことを契機に、イギリスはスヴァールバル諸島をノルウェー領にすることを提案。米仏露独蘭丁(デンマーク)と各国は相次いでこれに賛成したが、こんどはスウェーデンが猛反対して頓挫(※)。代ってスバールバル諸島を国際管理地帯にして、ノルウェーとスウェーデン、ロシアが国際委員会を作って統治する方針が決まった。
※なぜスウェーデンが一転して「島はノルウェー領」に猛反対したかといえば、1905年にスウェーデンとノルウェーは連合王国を解消して分離し、関係が悪化したため。スウェーデンは「島で石炭を発見したのもスウェーデン人だし、スウェーデン領にするべき」と主張した。勝手なもんですね。
こうして3ヵ国はスバールバル諸島の司法や行政に関する条約案を作り、関係諸国に調印するよう求めたが、アメリカが条約締結国に拒否権を与えるよう求めて反対し、アメリカが作成した修正案にはロシアが反対してまとまらず、そうこうしている間に第一次世界大戦が始まって、どこの国も島どころの話ではなくなってしまった。