鉢呂氏のたった一言が、どうしてこれほどまでも違うのか。
鉢呂氏は本当はどう話したのか。

詳細は次のようだ
★読売新聞
 『着ていた防災服の袖を取材記者にくっつけるしぐさをし、「ほら、放射能」と語りかけていた』
★朝日新聞
 『記者団に「放射能をつけちゃうぞ」と発言していた』
★産経新聞
 『記者に防災服の袖をすりつけるしぐさをし「放射能をうつしてやる」などと発言した』
★FNN
 『防災服の袖を取材記者の服になすりつけて、「放射能を分けてやるよ」などと話し』
★毎日新聞
 『報道陣に対し「放射能をつけたぞ」との発言』
★日経新聞
 『報道陣の1人に袖をすりつけ「放射能をつけてやろうか」と冗談まじりに述べた』

どれも話言葉を使って、鉢呂氏がそのような言葉を実際に『語った、発言した、話した、述べた』と報道している。取材記者たちはその場で実際に鉢呂氏から同じ話を聞いていながら、これほどまでに、同じ言葉が違う言葉に聞こえるのだろうか。なによりも国民に正確な報道をすることがマスコミの役目である。今回のように勝手に創作した内容を国民に報道することは、報道機関としてもマスコミの信頼性を大きく損なう行為である。

今回の報道は、記者の創作であり不正確な内容である。すなわち鉢呂氏自身の発言とは異なっているということだ。もし、どれか一つが本当だとしたら、その他は記者の作文だということだ。

大手マスコミで働く記者たちは、たった一言も覚えられないほど能力が低いのか、もしくは人の話を正確に聞く能力がないということだ。そして、よく聞こえないときは適当に創作して記事にしてしまうということだ。

距離が遠かった記者が良く聞こえなかったとしても、鉢呂経産相自身が実際に話した言葉を確かめることは鉢呂氏の一番近くにいた一記者を取材すれば明確になることなのに、それさえしていない。今回の件は記者たちも当事者である。だから当然、その一記者とは誰なのか、そこに集まっていた報道陣は誰なのかも明確にすべきだ。そもそも、その時の録音はないのか。

このようなことが平気で行われているようでは、今後マスコミが、だれだれがなになにを言った、と報道しても、到底、信用などできない。もし鉢呂氏の問題発言が一言でないならば、その全文を報道すべきである。一国の大臣辞任を左右する事態で、マスコミが捏造報道をすることなど許されない。鉢呂発言でのマスコミ報道に断固抗議する。そしてマスコミ各社に対して訂正記事を要求する。もし報道機関がこれに反論する場合には、その前提として訂正記事の掲載と実際に鉢呂氏が話したことの報道を求める。

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