意を決した小林は白木屋との契約が切れた十四年に直営の「阪急マーケット」を開業。初めは食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態だったが、昭和四年、「阪急百貨店」に改称。ビルを地上八階、地下二階に全面改築した。日本初のターミナルデパートが誕生した。
七、八階の食堂は全国に先駆けて食券制を導入、洋食中心で、ライスのみもOKだった。二十五銭のライスカレー(コーヒー付き)は名物となった。
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意を決した小林は白木屋との契約が切れた十四年に直営の「阪急マーケット」を開業。初めは食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態だったが、昭和四年、「阪急百貨店」に改称。ビルを地上八階、地下二階に全面改築した。日本初のターミナルデパートが誕生した。
七、八階の食堂は全国に先駆けて食券制を導入、洋食中心で、ライスのみもOKだった。二十五銭のライスカレー(コーヒー付き)は名物となった。