昭和十年末、初めて来店した客が、出された“肉焼き”を一口つまんでつぶやいた。

 「なにわは肉かいな、明石はタコを入れとるで」。

 この客が言ったのは「明石焼き」。留吉をはじめ大阪人の多くは知らなかったが、播州地方では明治半ばから明石焼きの屋台が出ていたという。ただ、当時はだし汁につけることは少なく、具はイカ、エビなどタコに限ったわけではなかった。

 留吉は客の一言を聞き逃さなかった。「タコか。それはええな」。

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