さてそのエピソードというのは、今川義元が8才の竹千代(後の家康)を人質に引き取ったときのことである。義元は側近のものを呼んで、「この後、竹千代には、出来る限り《惨い仕打ち》を加えよ!」と命じたという。相手は幼い子供である、《惨い仕打ち》という言葉に困惑した家臣が「惨い仕打ちとはどんなことでしょうか?」と恐る恐る尋ねたところ、義元は「何不自由なく過ごさせてやれ。暑いときは涼しくしてやり、寒いときは暖をとってやれ。決してひもじい思いをさせないで、欲しいものは何でも与えよ。願いは必ず聞いてやれ。」と答えたという。これが、義元の《惨い仕打ち》の中身だったのである。これは、家臣たちが想像した文字通りの惨い仕打ちとは全く逆だったのである。つまり義元は、これによって、竹千代の心身が堕落するのを待ち骨抜き状態にして、将来、決して自分に逆らえないようにしようとしたのである。今川義元は、さすが人間の弱点を見極めた老練な策士であった。多感で育ち盛りの竹千代ではあったが、その後の家康の生涯を考えると結果的にはその甘い罠には乗らなかったことになる。むしろ逆に、抑制、断念、忍耐といった将来を生き抜くための強靱な精神を自らに打ち込んだことになる。

 このエピソードには、現代の家庭はもちろん、社会全体で考えるべき人間の生き方、育て方についての時代を越えて変わらないずっしりとした真実が含まれていると思う。今、日本の子供たち全体が、知らず知らずのうちに、この今川流の《惨い仕打ち》を受けているような気がする。明日の日本を支えることを期待されている子供たち一人一人が、この今川義元の甘い罠と対決して、これを乗り越えて『徳川家康』になってほしいと思うし、学校と家庭は、手を携えてその手助けをしていかなければならないと思う。

「子供を不幸にするいちばん確実な方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。」・・・ルソーの「エミール」の中のよく知られた一節である。物と情報が溢れ氾濫し、物質的にも精神的にも何が真実で何が間違っているのか、また、人間が人間らしく生きるためには何が必要で何が必要でないか、そういうことが分からなくなってしまい、子どもたちの健全な成長と自立が大変難しい時代になってきている。今度時代劇などに徳川家康が登場したときには、このエピソードを思い起こしてほしいものである。

実感エッセイ⑪ (via petapeta) (via msnr)

2008-08-11

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