たとえば店をやっていると、毎日沢山の客がくる。でもみんながみんな僕のやっている店を気に入るわけではない。というか、気に入る人はむしろ少数派である。

でも不思議なもので、たとえ十人のうちの一人か二人しかあなたの店を気に入らなかったとしても、その一人か二人があなたのやっていることを本当に気に入ってくれたなら、そして「もう一度この店に来よう」と思ってくれたなら、店というものはそれでけっこううまく成り立っていくものなのだ。

十人のうちの八、九人が「まあ悪くはないな」と思うよりは、大部分の人が気に入らなくても、十人のうち一人か二人が本当に気に入ってくれるほうがかえってよい結果をもたらす場合だってある。僕はそういうことを、店をやっているあいだに肌身にしみて覚えた。本当に骨を削るみたいにしてそれを覚えた。

だから今でも、自分の書いたものが多くの人にボロクソに言われても、十人のうち一人か二人に自分の思いがすぱっと届いていればそれでいいと強固に、一種の生活感覚として信じることができる。そのような経験は僕にとってはかけがえのない財産になった。こういう経験がなかったら、小説家として生きていくことばもっとずっとハードだっただろうし、あるいはあれやこれや自分本来のペースを崩されていたかもしれない。

というような話を一度村上龍としていたら、「ハルキさんすげえなあ、俺なんか十人のうち十人がいいって言わないとア夕マくるもんなあ」と言って感心していた。こういうのはたしかに村上龍らしいというか・・・僕の方が逆に感心してしまう。

「やがて哀しき外国語」 村上春樹 講談社 (via boooook) (via suyhnc) (via dannnao) (via nagas)
2009-05-17 (via gkojay) (via tkashiwagi) (via lovecake) (via kotoripiyopiyo)
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