徳川家康が住吉大社を参った後、猪名川沿いの多田神社(現川西市)へ参拝しようとした際に、船がなく困っていました。見かねた佃漁民が船を出し、多田神社まで便を図りその功績で、のちに江戸の隅田川河口の中洲へ約30世帯が移住し、江戸も佃島と名付けられました。河口で採れる小魚を塩や醤油に漬け、保存食にしたのが佃煮と伝わります。

すなわち佃煮の発祥は江戸ですが、造ったのは現西淀川区の佃漁民であったのです。

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