郢(楚国の首都)の学者が燕国の大臣へ手紙を書いている時、手元が暗かったのでそばにいた小間使いに「明かりを掲げよ」と命じたところ、ついうっかり手紙に「明かりを掲げよ(挙燭)」と書き、そのまま送ってしまった。 その手紙を受け取った燕の大臣は文の中にある「明かりを掲げよ」という言葉の意味が分からず首をかしげるが、「これは明を尊べという意味だろう。明とは賢人のことで、賢人を重用することが国の発展につながると伝えているに違いない」と勝手に解釈し、燕王に賢者を求めるよう進言し、燕王もその進言を容れて広く人材を集めた。果たしてその政策が功を奏し、燕はよく治まった。 その様子を見てきた小間使いが主人である学者に「ご主人様が『明かりを掲げよ』と諭されたのが良かったようです」と伝えたところ、今度は学者が「『明かりを掲げよ』などと書いただろうか?」と首をかしげた。