「弔辞」

今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。

ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。

持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。

眠るような顔のそばに花を置きながら、

ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。

だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。

1969年雨の夜、ぼくは初めて君の部屋を訪ねた。

六本木通りでタクシーに手を上げながら、

濡れた路面が鏡のように映す街の灯に見とれていた。

布団と炬燵しかない部屋に寝転んで、

来る途中、見てきた光景をぼくは紙に書いた。

君は時々、ギターを弾きながら、漫画を読んでいたが、

詞を二つ書き上げる時分には、うとうと眠ってた。

炬燵の上に、書き上げたばかりの詞を置いて、

ぼくは帰った。

「曲がついたよ」と君が言うので、

西麻布のぼくの部屋に楽器を抱えて四人集まった。

聴きながら、ぼくは「あ、できた」と思った。

それが「春よ来い」と、「十二月の雨の日」である。

北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。

なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。

苦く美しい青春をありがとう。

更新情報知らせます はい 不要