2008年5月に、64歳の元バス運転手の女性が肺がんの再発を告げられたときに起こったことを、著者はこのように紹介しています。
ショックを受けて黙りこむバーバラに、主治医は今度は良い知らせのほうを告げた。
「でも大丈夫ですよ。放射線治療の良い新薬が出ていますから」
ターセバというその薬には、がんの進行を遅らせる効果があるという。
バーバラは深いため息をつき、低所得層のための医療保険制度を持つオレゴン州の住民であることに、心の底から感謝した。
(中略)
アメリカには65歳以上の高齢者と障害者・末期腎疾患患者のための「メディケア」、最低所得層のための「メディケイド」という、二つの公的医療保険がある。このうち州と国が費用を折半するメディケイドの受給条件は、所得が国の決めた貧困ライン以下の住民が対象だ。
だがオレゴン州では「できるだけ多くの州民に医療保険を」と考えた民主党議員を中心に、独自の医療保険制度「オレゴンヘルスプラン(OHP)」を設立していた。バーバラのような、メディケアを受給するほど最底辺ではないが所得が低くて民間保険に入れない者は、OHPを通して民間保険に加入することができる。
OHPの医療費支払いには「いのちに関わる医療行為から、改善の見込みが低い治療」まで、州独自の基準で優先順位がつけられていた。三年前、まだ初期ステージだったがん治療費用をOHPが支払ってくれたときのことを思い出し、バーバラはなんとか気持ちを落ち着けた。病気の再発はショックだが、まだ希望はあるのだ。
だがその希望は、後日OHPから届いた一通の手紙によって、打ち砕かれることになる。
<がん治療薬の支払い申請は却下されました。服用するなら自費でどうぞ。代わりにオレゴン州で合法化されている安楽死薬なら、州の保険適用が可能です>
州からの支払いがなければ、バーバラのような低所得患者がひと月4000ドル(40万円)のがん治療薬代を支払うのは不可能だ。だが1回50ドルの安楽死薬なら、自己負担はゼロですむ。
のちに、この手紙について地元のテレビ局に聞かれたOHP事務局の担当者は、治る見込みのない患者に高い医療費を使うよりも、その分他の患者に予算をまわすほうが効率が良いと発言し、波紋を呼んだ。