米国の歴代政権は「北方領土の主権は日本にある」と繰り返し、指摘してきた。
これは、外交史上で有名な「ダレスの恫喝」と関係がある。1956年8月19日、重光葵外相はダレス米国務長官と会談した。当時、歯舞・色丹の2島返還で領土問題を妥結するという動きがあった。ダレス氏は、日本側が国後、択捉両島に対するソ連の主権を認めた場合、米国は沖縄領有を主張する考えを伝えたとされる。米国は、日本の妥協を許さない代わり、北方領土に対する日本の主権を認めるようになった。
その一方、先述したとおり、米国は尖閣諸島について、日本に主権があるとは認めず、施政権があるとの立場を取ってきた。戦後秩序が固まったサンフランシスコ講和条約当時、台湾も尖閣諸島について領有を主張していたからだ。日米安保条約5条は、対象地域を「日本の施政の下にある領域」としているため、米国が防衛の義務を負う対象に北方領土は含まれないが、尖閣諸島は含まれることになる。