天皇家のこれまでの長い歴史において、男系が継続できたのは奇蹟とも言えますが、少子化以外の過去と現在の最大の違いは「側室制度の有無」であります。
これまでの天皇のほぼ半数が側室の生まれとされますから、庶系天皇がもし許されなかったとしたら、男系の皇統は、かなり初期の段階で終わっていたでしょう。
つまり、側室無しでの男系永続は、一人の女性が十人近く産むのが珍しくなかった多子の時代でも、無理だったと思われます。
『記紀』の古代の既述からの推理は困難ですが、側室無しで皇統が十世紀まで継続したかどうか大いに疑問です。
お金持ちや名家に側室が多数いた時代でも、断絶はしばしば起こっております。
明治天皇にはお妃が何人もおられ、皇子皇女は十五人もおられたのですが、皇男子で成長されたのは病弱の大正天皇ただお一人であり、危機一髪でした。
また昭和天皇も、今上天皇が降誕されるまで四人続いて内親王であり、側室復活の声が高まったのです。