「皇帝」の称号を最初に使ったのが秦の始皇帝でした。
中国皇帝は各地の王を従えていました。中国の王は皇帝によって、領土を与えられた地方の諸侯に過ぎません。中国皇帝は日本の天皇に対し、そのような一地方の臣下という意味で、「倭王」の称号を授けていました。
7世紀、日本は中央集権体制を整備し、国力を急速に増大させていく状況で、中国に対する臣従を意味する「王」の称号を避け、「天皇」という新しい君主号をつくり出しました。皇国として、当時の中国に互角に対抗しようという大いなる気概が日本にはあったのです。
608年、聖徳太子が中国の隋の皇帝・煬帝に送った国書で「東天皇敬白西皇帝(東の天皇が敬いて西の皇帝に白す)」と記されていました。『日本書紀』に、この国書についての記述があり、これが主要な史書の中で、「天皇」の称号使用が確認される最初の例とされます。