小林は1924年に「宝塚運動協会」を結成し、本拠地を宝塚球場に置く。

 しかし、この協会も、昭和恐慌に伴う不況や有力な対戦相手であった大毎野球団の突然の解散などの影響を受け、1929年に解散に追い込まれる。それでもなお、小林は独自の「電鉄リーグ構想」を提唱する。

 野球場をもつ関西の電鉄会社が協力して職業野球団を結成し、リーグ戦を行うことで、鉄道沿線に娯楽を提供して入場料収入を得るとともに、鉄道の利用促進による運賃収入増をもくろんだという

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