江戸時代前期は、将軍の正室はたいてい顔が細長く顎が小さかったが、側室は顎がしっかりした庶民顔だった。正室は皇族や公家から輿入れをしているが、側室には庶民出身の大奥女官から選ばれていたからだ。しかし、これが江戸時代後期になると正室も側室もみな細長い顔をしているのだという。
「京都から輿入れした正室の顔が細長いことから、美女の顔はそういうものだという概念が世の中に浸透したのです。さらに、平安時代以降、北方アジア人的な一重で細い目が良いとされる伝統が続いていました。浮世絵に描かれた瓜実顔で目の細い“美女”はその象徴でしょう。そうやって生まれた紋切り型の美の概念のもとで、野心を持った連中が将軍の側室にするために面長な女性を大奥へと送り込んだと考えられます」