1977年に宮本茂が入社した当時、任天堂はおもちゃやトランプ、ちょっとしたアイデア商品などを販売する会社だった。宮本は24歳で、美術学校を卒業したばかりだった。当時の任天堂は、Atariというカリフォルニアに拠点を置く企業の成功に触発され、ヴィデオゲーム分野への進出を図っていた。

巨体のゴリラにさらわれた乙女を主人公の大工が救うストーリーを宮本は構想し、ゲーム「ドンキーコング」として1981年にデビューさせた。4年後に宮本は、主人公を大工から配管工に変えてキャラクター「マリオ」を誕生させ、「スーパーマリオブラザーズ」を大ヒットさせる。

だが宮本はそれに飽きたらなかった。直線的な横スクロールの仕組みにうんざりしていた彼は、子どものころ京都市西郊の園部町(現南丹市)で自由にのびのびと野山を駆け回っていた経験をゲームで表現したいと考えていた。そして任天堂は1986年、「ゼルダの伝説」をリリースした。

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