大阪梅田の大地主だった吉本氏が、大空襲で焦土と化した自分の土地を戦後のドサクサで長らく不法に占拠されていたさなか、吉本氏は60人もの建設会社の労働者を率いて、ブルドーザーを使い強制的に三国人のバラックを破壊、撤去したのだ。
これは「梅田村事件」と呼ばれている。
後に吉本氏は出頭、取り壊されたバラックの住人側に起訴され、一審では敗訴したものの、控訴審で「正当防衛」と認められ逆転無罪を勝ち取った。
なお、「不動産侵奪罪」はこの事件がきっかけで作られたものである。昭和35(1960)年新設。当然土地の不法占拠には暴力団も絡んでいたが、そこは「力には力を」である。敢然と三国人ヤクザに立ち向かったことで吉本氏は自らの財産を取り返した。