その頃、大阪の三越呉服店には、少年音楽隊なるものがあった。二、三十人の可愛らしい楽士が養成され、赤地格子縞の洋装に鳥の羽根のついた帽子を斜めにかぶって、ちょっとチャアミングないでたちで、各所の余興にサービスをして好評であった。

宝塚新温泉もこれをまねて、三越の指導を受け、女子音楽隊を設けることにした。十五、六名の少女を募集し、唱歌をうたわせようという宝塚唱歌隊なるものを組織することになったのである。

 これは裏話になるが、当時ほとんど何もなかった宝塚の地へ、あんな無理なことをやったのは、電車を繁昌させなくてはならないから、何とかしてお客をひっぱろうとしてやったことで、何も宝塚というところがいいからといってやったわけではない。

電車事業というものは都会と都会を結ぶからいいので、宝塚線のように、一方に大阪という大都会があっても、一方が山と川ではダメだから、何かやらなくてはならないというわけで、従って宝塚は無理にこしらえた都会である。

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