淀川流域は古来、日本の政治・文化・経済の中心地として極めて重要な位置を占めていた。それ故、仁徳天皇時代茨田堤の建設に始まり河川整備が繰り返されたが、洪水も度々起きた。平安時代末期の白河法皇は、意のままにならぬ「天下三不如意」として比叡山延暦寺の僧兵、双六博打の賽の目と並んで、淀川上流である鴨川の治水を挙げた。

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