隣の隣の街(ぐらいになるのか)である大阪にいると、京都が特別だとは思わないことが多い。というのは大阪のわたしらが「京都にあって大阪にないもの一般」を抽出して消費しようという志向性を持たないからだ。

大阪という都市は、JR大阪駅から環状線でひと駅の天満で降りても、逆回りでひと駅の福島で降りても、まったく街の手触が違うのが分かる。
もっと狭いエリアを見てもそうだ。ミナミの場合だと、心斎橋筋あたりと御堂筋を渡ってすぐのアメリカ村では、店もそこに集まる人もがらりと変わってくる。

つまり同じ都市内において隣り合う街は「違う街」なのだ。その違いがあることが「当然」であり、その「違っていること」において「同質的」なのが大阪だ。
だから隣の隣の京都も、「大阪とは違うこと」があらかじめ織り込み済みだし、さらに三条と四条が違う街であることを当然だと思っている。

更新情報知らせます はい 不要