読売新聞社は戦後まもない1950年、タイトル戦の「九段戦」を創設した。1962年には「十段戦」に格上げされた。十段戦のリーグ戦(6人)に入ると、先後2局ずつ計10局も一流棋士と対局できたのが最大の魅力だった。
読売は1970年代後半から、囲碁は「棋聖戦」を主催していたが、将棋の十段戦の契約金とは約2倍の差額があった。日本将棋連盟は「囲碁と将棋は歴史的に平等である」という観点から、読売に十段戦の契約金の大幅増額を何度も要求していた。
読売は「棋聖戦は囲碁界で席次一位の扱いを受けている。しかし十段戦は、将棋界で名人戦に次ぐ扱い。契約金の違いはその差であって、囲碁と将棋を差別しているわけではない。ただし、将棋界において最高の棋戦を主催することについては、強い関心がある」という見解だった。
その後、1985年から2年間にわたって、連盟と読売で交渉が続けられた。そして、順位戦から独立したランキング制、新体系の賞金制などで、両者は大筋で合意した。