蒋介石率いる国民党軍に敗れた毛沢東率いる紅軍は、1934年10月、最後の中華ソビエト共和国の拠点であった江西省瑞金を放棄して、1万2500キロを徒歩で北西方向に向かった。これを「長征」という。
しかし中国全土に構築した革命根拠地はほとんど国民党軍に殲滅されて、唯一、習仲勲らが建設していた陝甘辺ソビエト政府だけが残っていた。
毛沢東一行が延安に到着したのは約1年後の1935年10月である。
もしあのとき、陝甘辺ソビエト政府という革命根拠地が残っていなかったら、毛沢東は長征の到着先を見つけることができず、共産党軍が国民党軍に勝利して中華人民共和国を建国することはできなかった。
したがって、中華人民共和国が誕生したのは、習仲勲等のお陰である。
だから毛沢東は習仲勲に感謝し、習仲勲をこの上なく可愛がった。
習仲勲を「諸葛孔明よりもすごい」と褒めたたえたことさえある。
鄧小平は、それが怖かった。人一倍野心に燃えていた鄧小平は、このままでは自分が毛沢東の後継者になるチャンスはなくなると計算し、さまざまな陰謀をめぐらして習仲勲を失脚させ、16年間も軟禁や獄中生活を送らせるところに陥れてしまったのである。