鄧小平がどれだけ多くの国家リーダーあるいはリーダーとなり得る人物を倒し、かつ自分が推薦して就任させておきながら、気に入らないと失脚させるということを繰り返してきたかを以下に列挙してみよう。
1954年:毛沢東が後継者に考えていた高崗(西北革命根拠地)を自殺に追い込んだ。
1962年:習仲勲を冤罪により失脚させた(16年間、軟禁・投獄・監視)。
1980年9月:華国鋒を国務院総理辞任へと追い込む。
1981年6月:華国鋒(中共中央主席、軍事委員会主席辞任)を失脚に追い込む
1981年6月:自分のお気に入りの胡耀邦を中共中央主席に就任させる(但し、1982年9月で中央主席制度を廃止し中共中央総書記に)。
1986年:胡耀邦(中共中央総書記)を失脚に追い込み、趙紫陽を後任にした。
1989年:趙紫陽(中共中央総書記)を失脚に追い込んだ。
1989年:江沢民を一存で中共中央総書記・中央軍事委員会主席に指名。
2001年:胡錦涛を隔代指導者に、鄧小平の一存で決定した。
ここまで国家のトップを自分一人の意思で失脚させたり指名したりした人は、建国後の中国には存在しない。毛沢東でさえ、たった一人の国家主席(劉少奇)を失脚させるために、わざわざ文化大革命を起こさないと、一存で失脚させる力は持っていなかったし、そうしなかった。