侵略戦争の加害国は、すべて敵の弛緩の裏をかいてきた。ヒトラーが1938年のミュンヘン会談で英仏にチェコのズデーテン地方の併合を認めさせた時、英首相チェンバレンは「これ以上の領土的野心はない」というヒトラーの詭弁を信じ、ロンドンに凱旋した。チェンバレンは「これで平和は守られた」とスピーチして喝さいを浴びた。ところがヒトラーは翌年ポーランドに電撃侵攻してその全土を約2週間で占領した。第二次大戦の悪夢が始まったのである。
フランスは独国境にマジノ線要塞があるから対独防備はまず大丈夫である、と高を括っていた。ドイツ軍参謀マンシュタインはその裏をかき、ドイツ機械化部隊はマジノ線を無視してオランダ・ベルギーから一気呵成に越境してパリを占領した。マジノ線は当時のフランスが総力を挙げて築き上げた大要塞であり、これがあれば概ね不安はない、という弛緩した空気の虚を突かれた。
1941年6月、ソ連首相スターリンは諜報機関からドイツ軍の国境集結の情報を受け取っていながら、「侵攻は無い」と結論して安堵したために、緒戦で赤軍は壊滅し、モスクワ占領一歩手前までの窮地に立たされた。
1941年12月、ルーズベルトは「仮に日本が太平洋方面を攻撃するとすれば、それはフィリピンだ」として、ハワイ防衛の必要性を軽視した。そしてあの真珠湾攻撃が起こった。