『吾妻鏡』には、鎌倉に入れてもらえず、京都に帰ろうとした義経(6月9日に東国をたつ)が「関東(頼朝)に恨みがある者は付いて参れ」と放言したと書いてあり、そのことが要因で、頼朝は義経に与えていた所領24カ所を没収したとされます(6月13日)。

しかし、義経が兄・頼朝に挙兵するのは、その年(1185年)の10月です。義経も6月の段階では、頼朝に対し、挙兵するほどの怒りは抱いていないのです。

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