中内氏は、実家のサカエ薬局(神戸市兵庫区)で働き、神戸の闇市で商売を経験した後、大阪・千林駅前に「主婦の店ダイエー」を開業した。57年9月、35歳のときだった。
翌年、神戸・三宮に出店すると、消費者のニーズに応えるべく食品、衣類、日用品がそろう総合スーパーの礎をつくり、猛烈な勢いで全国にチェーン展開する。創業からわずか15年後の72年には、老舗百貨店三越を抜き「小売業日本一」を達成した。さらに、バブル期の80年代以降、プロ野球球団やホテル、リクルートなどの派手な買収劇を繰り広げ、売上高3兆円を誇る日本最大の流通王国を築く。日本チェーンストア協会初代会長や神戸商工会議所副会頭を務め、90年に流通業界出身で初めて経団連副会長に就任した。
しかし、バブル経済崩壊に加え、95年の阪神・淡路大震災の被害で、業績が悪化。2000年10月に会長を辞任し、翌年1月に創業者の意の「ファウンダー」に就任するが、02年に全役職を退く。晩年は1988年に自ら創設した流通科学大(同市西区)の学園長として後進の育成に力を注いだ。ダイエーは2004年12月に産業再生機構の支援を受け、15年1月にイオン傘下に入った。