同世代で「友人」と呼べる存在を挙げるとすると。

山下「坂本(龍一)君かな。彼がYMOのメンバーになる前、70年代半ばから2年半ほど、それこそ毎日のように会っていた時期がありました。数年前、久しぶりにゆっくり話す機会があったんですが、距離感はまったく同じだった」

山下「初めて会ったのは1974年頃で、福生にあった大瀧詠一さんのスタジオでのリハーサルでした。それまで面識はなかったんですが、坂本君は新宿高校、僕は竹早高校で、同時期に高校紛争を経験しているんです。年齢的には坂本君が一級上。僕が高校をサボって、茗荷谷の喫茶店のテレビで三島(由紀夫)自決の臨時ニュースを観ていた1年前、坂本君は学校に3人だけだった某マイナー新左翼のメンバーとして、長髪・下駄ばきで校内を闊歩してたそうです。ちなみにあとの2人は、後年衆議院議員になった塩崎恭久さんと、『アクション・カメラ術』で有名になった馬場憲治さん。

 そういう背景もあって、坂本君とは初対面からウマが合った。新宿のゴールデン街の飲み屋で、彼が東京藝大で専攻していた現代音楽について客と論議を戦わせているのを眺めていたり、行きつけのライブハウスの酒を飲み尽くしたり(笑)」

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