教授の父・坂本一亀さんは、野間宏の『真空地帯』や高橋和巳『悲の器』といった戦後日本文学の名作を次々に送り出した昭和を代表する文芸編集者だった。
「大江健三郎さんは坂本さんに叱られて、しょんぼり編集部の隅に立たされていたし、水上勉さんなんか、『何だこの原稿は! 書き直せ』とゲラに真っ赤になるほど手を入れられていた」と折につけ話を聞いた。「『君は役人なんかやっていないで小説を書け』と三島由紀夫に大蔵省を辞めさせちゃうんだから」
ある日、YMOのレコードジャケットを眺めて父が吐き捨てるように言った。「龍一、お前をピエロにするために東京芸大にやったのではない!」。息子が髪を金色に染めれば激高し、正月実家で母が作ったお節をつまんでいると「これがお前の音楽なのか?」といきなり怒鳴り始める。