1982年、ゼネラルモーターズ(GM)は「未来の工場」を建設中であることを発表した。
当時、トヨタ自動車や日産自動車と激しく競争していたGMの事業に新たな力を与えるはずだった。GMはその2年前に7億6300万ドルの損失を計上していた。
トヨタの工場を視察した当時のCEOロジャー・スミスは、競争するには自動化しなければならないと決意したのだ。
サギノーのプロジェクトは4000台のロボット軍団による生産を構想した。有能なロボットがいれば人間はほとんどいらなくなり、照明をつける必要すらないと思われた。
しかしGMの「照明不要」(ライトアウト)実験は混乱を巻き起こした。
一部の施設ではロボットが車種の判別に苦戦した。ビュイックのバンパーをキャデラックに取りつけようとしたり、あるいはその逆のケースも発生した。また、ロボットは塗装も苦手で、ラインを流れてくる車体ではなくロボット同士で塗料を吹きつけ合う始末だった。
GMはサギノー工場を1992年に閉鎖した。