1941年6月22日、ナチス・ドイツがソ連に侵攻した時、ソ連軍は緒戦においてあまりにも脆弱だった。ナチス・ドイツ軍330万人がバルト海から黒海までの3000キロの戦線で一斉に攻撃にかかった結果、開戦わずか1週間でソ連領内400キロの地域に突入されていた。モスクワまで後700キロである。
ソ連軍がこのように弱体だったのは、クーデターを恐れるスターリンが、ソ連軍の将軍や将校を粛清しすぎたからであり、また、度重なる警告にもかかわらずソ連軍に警戒態勢を取らせなかったからである。
1937年から38年にわたって3万4301名の将校が逮捕、もしくは追放された。
そのうち、2万2705名は、銃殺されるか、行方不明になっている。また高級将校ほど、粛清の犠牲者が多くなっており、軍の最高幹部101名中、91名が逮捕され、うち80名が銃殺された。
軍の最高階級であったソ連邦元帥も当時5名いたうち3名が銃殺された。