フランス・フォード・コッポラ監督が一言言ってくださったので入れたんです。私は40歳を過ぎていました。学校を出て20年経って。全然字幕はやらせてもらえない30代の頃に、俳優が来るから通訳の仕事が来ちゃった。翻訳に会話はいらないから、私は30まで英語をしゃべったことがなかったんです。なのに、やれって言われて、記者会見で初めて英語をしゃべったみたいな感じなの。通訳は望みもしない仕事なのに、それがどんどん1人歩きを始めちゃって、どんどんいろんな方が来て、そのうちの1人がコッポラ監督だったんです。
「地獄の黙示録」をフィリピンでロケしていらして、長い撮影期間があるから、サンフランシスコからマニラまで何往復もするわけです。真ん中が日本だから、日本経由でいつもフィリピンに飛んでいるわけ。日本に来たときにガイド兼通訳を私がやってお付き合いが始まって、とてもかわいがっていただいて。字幕をしたいということも多分私が言ったんだと思うけど、耳に入れてらして、やっと大作ができたときに、「ずっとロケ地にも来ていたし、私の話をずっと聞いていたから、字幕をやらせてあげたら?」って配給会社に言ってくださって。鶴の一声で私に運が回ってきたんです。